自然の美味しさをそのままに。米と米麹のみを使用した酒蔵の甘酒、かやま酒蔵の『あまま』特集サイト

『甘酒の歴史』

甘酒の歴史と健康

甘酒は「一夜酒」(いちやざけ)、醴(こさけ)と呼ばれていました。

 

奈良時代の「日本書紀」に木花咲耶姫(このはなさくやひめ)という酒造りの神が天甜酒(あまのたむざけ)を造ったという話がのっています。
字を見ると舌に甘い酒だったのかも知れません。
927年の「延喜式」に「よねのもやし」が紹介されています。これは米芽のことです。


古墳時代、朝鮮半島から渡ってきた渡来人の酒造りは米芽を糖化剤として蒸し米を糖化して作る「一夜酒」で、これは今日の甘酒のようなものです。
その後米芽造りの過程の中で麹菌が入り込み蒸し米についた麹菌で米バラ麴ができ、4世紀から10世紀に至る間にバラ麴から蒸し米を糖化して造る醴(甘酒)から今日のような清酒というようなお酒に変遷してきたといわれています。

 

万葉集(第5巻)に山上憶良の貧窮問答歌に糟湯酒(かすゆさけ)が出てきます。
ここでは酒粕甘酒が冬の季語に使われています。

 

風雑へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術もなく 寒くしあえば 堅塩を 取りつづろい糟湯酒 うち啜ろひて 咳かい 鼻びしびしに

 

意訳 風が吹き、雨や雪が降る夜はやり過ごす方法もなく、寒いときには咳をし鼻水をすすりながら塩を舐め糟湯酒を啜るのです

 

糟湯酒は庶民の酒で酒粕を湯に溶かしたものだろうといわれています。

 

平安時代には夏場に貴族が冷やした甘酒を飲んでいました。

 

室町時代、甘味料の少ない時代の大衆飲料として甘酒売り(にない売り)が登場。
「醴酒」として6月から7月まで売られていたという記述があります。

 

江戸時代に入ると本格的な甘酒売りの商売が生まれ、栄養豊富で体力回復に効果のある夏の飲み物として庶民の間に普及しました。
暑い夏には体力も消耗し、暑さで病気になる人も多く、特に夏に死亡率が高かったことから健康保持、栄養補給飲料として幕府も甘酒を奨励し、価格も四文を超えないようにお触れまで出していました。
このように、人間が生活し活動する上に必要なブドウ糖が豊富な上、多くのビタミン群とミネラル、必須アミノ酸など多くの成分が入っているためエネルギーの補給や免疫力の向上、腸内の改善など効果を発揮してくれることで庶民は夏の暑さを乗り切ったのです。
甘酒という名称は慶長年間(1596-1614年)の書物に初めて登場しており、1840年の「守貞漫稿」(もりさだまんこう)には、真夏の栄養強壮剤として庶民に親しまれていたとあります。


武家の文献にも「悪酔い防止に甘酒を飲め」という奨励文献もあります。
ちなみに俳諧が盛んだった江戸期で「甘酒」の季語は夏であることを記しておきます。この甘酒は酒粕甘酒ではなく、米麹甘酒だと考えられています。

 

江戸時代、徳川幕府は人々の往来や資材の運搬交流を促すために街道の整備を行いましたが、旅といえば歩くことでしかできないように体力を使う旅人や荷役使役者のために道中には甘酒をふるまう茶屋が設けられていました。
特に東海道箱根地域は山で厳しい道中なので、甘酒を売る箱根の「甘酒茶屋」は有名です。文政年間(1818-1829年)には箱根地区には9箇所「甘酒茶屋」が設けられており、その他坂の上や山道を登りきったところには「甘酒茶屋」があったといいます。

麹米 麹米

甘酒は、日本人が生んだ最良の健康剤です。
江戸時代まで国民の健康飲料として育まれてきた甘酒ですが、明治に入り大きな時代の壁に直面します。
それは戦後も続きますが欧米の飲食の極端な推奨策と、明治政府が作った酒税法にあります。
明治32年(1899年)自家醸造が前面禁止になり庶民がお酒を作れなくなったのです。それまで各家で造っていたどぶろくも禁止です。作ったら罰が下されます。これは許可を得た蔵元だけが酒を造り、その税収で国政をまかなうというもので、1899年の国の税収の36%を酒税でまかない、1902年には国税収入の42%を占めていました。
ちなみに、酒類の許認可と品質・販売を管理している官庁は現在も国税庁です。
国の政策で庶民の酒造りが禁止されましたが、近年お酒や甘酒の成分が改めて見直され甘酒がブームになっています。

 

読売新聞の「古今をちこち」で磯田道史が書いていた記事によると江戸当時の貨幣単価に関して、甘酒の上限を4文に定めていたそうです。
江戸後期、すなわち甘酒が盛んだったころの時価が米換算では一文10円だが労働換算では50円としている。当時は米が税金と考えられていたので実際市場で出回る実勢では50円。もっとも庶民生活を守るために米価を抑えていたという背景もあり反対に幕府の収入が厳しく武士が困窮していた原因でもある。
甘酒4文は、現代で200円となり当蔵で製造している本格甘酒あままの1本190円と近しいい金額だったのですね。

 

古代から人々の育んだ発酵の知恵のひとつは、米麹から作られたアルコールの利用とそこに含まれる栄養成分にあります。
江戸の時代まで、人々は自分の健康に関して知識が豊富ではありませんでした。
当然、栄養補給とか健康補助食という考えはありません。
反対に情報が多い現代は「健康」という言葉に踊らされていないでしょうか。氾濫する健康サプリしかりです。
平均寿命の短かった昔は、健康でいることは自分の命を守ることでした。

 

今、病気にならないための未病対策、病気になって命を脅かすことのないように、日々の健康を維持するために甘酒をお勧めするのも、そのひとつの対策だと私たちは考えています。

麹米 麹米

麹菌と花咲か爺さんの話

甘酒を造る米麹は麹菌です。
麹菌とその利用は発酵食品や発酵飲料の酒の歴史を含め発酵の食文化に根差しており、庶民の生活文化の一つの柱として長い歴史をもっています。 初めての麹菌の記述が見えるのは8世紀前半に編集された「播磨国(はりまのくに、今の兵庫県南西部)風土記」だと言われています。 神に捧げた蒸し米にカビが生えたというもので、このようなことから麹カビが利用されるようになったものと思われます。


ところで、麹菌を繁殖させるのに木灰が使われていました。
木灰を入れることにより麹の餌になる「カリウム」と「リン」を麹に供給する上に、木灰は強いアルカリ性でほとんどの有害な菌を殺してしまいますが麹菌は死にません。 木灰で麹菌だけを純粋培養して繁殖させるのです。
この麹菌が繁殖することを「麹の花が咲く。」といいます。
日本の昔話に「花咲か爺さんが枯れ木に灰を撒いたら花が咲いた。」というお話がありますが、実は灰と麹の花咲きから来ているのではないかと考える人もいます。

 

日本書紀の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とのかかわりも気になりますね。

花咲かじいさんと桜